クリッシー・テイゲン、第三子の死産について語る(全文和訳)

子育て

先日第三子を死産したことを発表したモデルのクリッシー・テイゲン。
Instagram上で子供の亡骸を抱きしめる姿、打ちひしがれる姿を公開しました。

普段から飾らない姿を夫のジョン・レジェンドと共にSNSに惜しげもなく披露してくれていたクリッシー。今回SNS上で「こんなこともSNSにあげるのか」という批判もあったようですが、クリッシー本人がMediumに今回の件について記事を書いていましたので、日本の方向けに全文和訳してみました。

※まだまだ英語勉強中の主婦が訳しただけですので、間違いがたくさんあると思います。コメントで教えて頂けると嬉しいです。また口語丁寧語入り乱れてたいへんお見苦しいかと思いますが、クリッシーの口から語られた、いまの気持ちを知りたいという方が見てくださったら嬉しいです。

はじめに

一体いつ今回の件について書く心の準備ができるのか、想像もできずにいました。

苦しみの最中でも、心のどこかではすぐできるのでは、と考えていました。
寝室の隅に座って、明かりを暗くして、考えを巡らせるの。
そして赤ワインを飲みながら毛布でにくるまって、
とうとう「何が起こったのか」を話すのよ。

実際は想像と違って、一階のソファでこれを書いています。
毛布にはくるまっているけど、朝から友達とフライドチキンでワイワイしていたわ。
あれからずっと頭に浮かんて来る考えを携帯電話にメモして、それを読んでいるの。

どうやってこれを始めたらいいのかわからなかったけど、
どこの部屋でどんな状況でいるかに関わらず、
「Thank you」から始めるのが正しいと感じます。

この数週間、家の床はお見舞いのお花で埋め尽くされています
手紙はひとつひとつ、ジョンと泣きながら読みました。
「あなたはこれは読まないでしょうが…」から始まる
見知らぬ人からのSNSメッセージをずっと読んでいました。本当よ、全部読んだの。

あとこれは言わせて。
「あなたはこれに答える必要はありませんが…」で始まる、最高の手紙をいくつも受け取ったわ。
私たちがジャックを失った直後は、みなさんの優しさに感謝することが
できないのではないかと、とても心配しました。

たくさんの人が信じられないような経験を共有してくれ、
中には本や詩を教えてくれた人もいました。

皆さんに感謝を伝え、私たちのストーリーをひとりひとりと共有したかった。
しかしそれをできる状態になかったので、
「応えなくていいよ」という言葉は本当に安心しました。

みなさん一人一人に感謝します。

病院で

その日の朝(夕方かな?わからない)の最高の瞬間の1つは、
私がLabor and delivery(分娩室)のホールを通り抜けたとき、
ジョンが「なんだ?ここでパーティーでもしてるのか??」と言ったことでした。

私たちは、別の階から運ばれてきたばかりで、
私は薄い毛布で覆われて人目につかないよう隠されていました。

私は、私たち家族の5番目のメンバーとなる息子
(すぐにさよならをしなければならなかったけれど)をここで出産すると思っていました 。

人々は私たちの部屋のドアのすぐ外で歓声を上げて笑ってました。
もちろん、生まれてきた新しい命を祝って。

あなたもこう思うこともあるでしょう、
どうして誰も彼も自分のことばかりで、私のことも考えてくれないんだ、って。

この時点で、私はすでに何が起こりうるかについてわかっていました
エピデュラル(硬膜外麻酔)をし、誘発分娩で20週の我が子を出産するかもしれないこと、
そしてそうしなければ私のお腹の中で赤ちゃんが生き延びることができないことも。

早期胎盤剥離

私は以前も一ヶ月以上絶対安静になっていて、
胎児にとって「安全な」ゾーンである28週まで
お腹の中で育てること
を目指していました。

ドクターは私を部分的な早期胎盤剥離と診断しました。

私はいつも胎盤の問題を抱えていました。
マイルズのときは私の胎盤から十分な栄養を届けられなかったために、
一ヶ月も早く彼を出産しなければなりませんでした。

しかしこれは初めての胎盤剥離でした。
私たちは非常に注意深く見守りながら、
症状がおさまることを願っていました。

ベッドの中で私は少しずつ、しかし一日中、出血しました。
数時間ごとに自分のおむつを変えて、私は大人用おむつの専門家になったわ。
でも本当にう○ちをした赤ちゃんみたいな気持ちにならないようにしてくれた
各ブランドに感謝よ。鮮やかな色だったり、可愛いらしいお花が描かれていたの。

私はこの時期を病院で過ごすこともできたけど、
それほど大きな違いはありませんでした。

ドクターには家に来てもらい、彼らのネガティブな言葉を
こっそりとポジティブな言葉に変換し、
まだ全てがうまくいくかもしれないと思っていました。

どんどん悪くなっていく

そしてついに、私はひどい夜を過ごしました。
あまり良くない結果の超音波検査の後、異常な量を出血しました。

私の出血はどんどん酷くなっていき、ジャックのまわりの羊水は非常に少なくなり、
彼はかろうじて浮かぶことすらできませんでした。
そのとき私は仰向けの状態で、お腹の上から彼の腕と脚を感じることができました。

病院で数晩過ごした後、想像していた通りのことをドクターに伝えられました。

さようならを言う時が来ました。
赤ちゃんはこのままでは生き延びることはできないだろうし、
この状態がこれ以上続くなら、あなたの命も危ない。

何回もの輸血も試しましたが効果はなく、ただ血が私を通り抜けていくようでした。

ある晩、明日の朝に全てを終わらせようと言われました。

最初、少しだけ泣きました。その後、堰を切ったように涙があふれ、
信じられない絶望に、息も出来なくなりました。
これを書いている今もまた、つらい気持ちです。

そして酸素マスクをつけられた状態があなた方が最初に見た私の写真です悲しかった。

 
 
 
 
 
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私は母とジョンに写真を撮ってくれるようお願いしました。
それが彼らにとってどんなに不快だったとしても。

ジョンはとても躊躇していましたが、私にはそれが必要だから、
もう一度言わせないで
、とお願いしました。

だから彼は撮らなければならなかった。 本当に嫌だったと思うわ。
そのときなぜこんなことをするのか彼にはわからなかったのよ。

でも私はこの瞬間を永遠に覚えておく必要があったの。
結婚式での誓いのキスを思い出す必要があるのと同じように。
ルナとマイルズを生んだ瞬間の喜びの涙を思い出す必要があるのと同じように。

そして、私はこの話を共有する必要があることを確信していたの。

あなた方がこの写真を嫌うことなんて、これっぽっちも気にしてないわ。
「あなたがしなかったであろうこと」なんて、私は気にもならない。
私はこの経験をして、この選択をしたの。

そして何より、この写真は同じ境遇の人々や、何が起こったのかを
知りたいと考えてくれた人々の為のもの
なの。

この写真を必要としてくれる人の為のものよ。誰がどう思おうとね。

ドクターの話から数時間が経って、やっと少し落ち着くことができました。
でも本当に終わりにしようと思えるまでまだ少し時間が必要でした。

バカみたいなんだけど、過去に安楽死させた犬たちのことと比べたりしたわ。
犬たちが病気で本当に苦しんで、安楽死が必要だって踏ん切りがつくまで時間をもらっていたの。

ドクターに時間が欲しいと連絡したら、「もちろん」と返してくれました。

その日の深夜、トイレで、再び崩れ落ちました。
出てきた血と、血の塊の量で、とうとうお別れの時が来たんだと思いました

赤ちゃんとの対面

忘れたくても忘れられない経験よ。

エピデュラルがどれだけ好きかいつも笑い話にしていたのに、
この時ばかりは好きになれなかったわ。

横になってから何時間かして、いきんで、と言われました。
赤ちゃんはとても小さかったので子宮口を広げる必要はなかったわ。

体の向きを変えながら、看護師の指示通りにいきみました。

その時のことを覚えているわ。ジョンに背を向けて右向きに横になっていて、
左向きに替えるよう言われたの。それで足を開いてジョンのほうに顔を向けた時。
ドクターが少しだけ叫んで… 

なんて言えばいいのか今もわからないけど、赤ちゃんが出たの。

母とジョンと私は、それぞれ赤ちゃんを抱きしめてお別れをしたわ。
母は泣きながらタイのお祈りを唱えてくれた。

看護師に赤ちゃんの手と足を見せてくれるように頼んで、何度も何度もキスをしました。
10分だったのか、1時間だったのか、いつまでそうしていたのかわからないわ。

心に開いた穴

ジャックは産まれて来るのをどれだけ楽しみにしていたのかわかりません。
これは私に一生付き纏うでしょう。これを書くだけで目と鼻がツンとするの。

今私がわかるのは、ジャックのお骨は小さな箱の中で
私たちの新しい家(彼の部屋を作るつもりだった)の
庭木のもとに撒かれるのを待っているということです。

このような経験は私の心に穴を開けると人々はいいます。
確かに心に穴が開いてしまいましたが、
その穴は私の愛する人々の愛情で満たされています。

空っぽではないんです、いっぱいなのを感じます。
本当に、破裂しそうなくらい。

この家を愛で満たしてくれる二人の素晴らしい子供がいることが
どれほど幸せなのかを考えて、突然泣き出してしまうことがあるの。

彼らが私に「ママーーー!!」と言ってくれる間、
私は彼らを溺愛するのよ。誰がなんと言おうとも。

私はたまに自分が幸せすぎて腹が立つときにも泣きます。
ときどき笑える記事を読んだり、インスタグラムを覗いたり。
(投稿してないけど、こっそり見てるの!)

あと、もう妊婦じゃないってことをいつも忘れちゃうの。
歩くときはお腹を抑えちゃうし、子供たちがお腹の上に飛び乗って来るとびっくりしちゃう。

こういう瞬間のあとに、もうジャックが居ないことが明確になって、悲しくなるわ。

公開したことについて

私たちは喜びをいつもパブリックにしていたから、
悲しみもパブリックになったのは残念に思っているわ。
私たちのニュースを世界にシェアするのはとても楽しかったの。

ここ(死産)に至る前までの物語はすべて記録されていたわ。
今は見るのが辛い。全てうまくいくと楽観的だったの。
みんなを辛い気持ちにさせてしまったことが、辛いわ。この先もずっとつらいと思う。

でも、優しさに触れる瞬間以上に美しいものはありません
あるときお店で会計をしているとき、キャッシャーの女性が
私のカートに静かに花を入れてくれました。

私にそっとメモを持ってくる人もいます。

一番悲しいのは、同じ経験をしてもこういった人からの優しさに触れることのない女性が
いるということを理解したときです。

お願いですから、辛いストーリーを共有して、
心を曝け出している人たちに優しくしてください。
そしてそれを全くさらけ出さない人もいるのだから、みんなに親切にしてください。

この見知らぬ人たちはそれぞれ違う形で、
人生は進んでいくんだということを伝えてくれます。

彼らは「神の思し召し」だとか、「また別の子がすぐに来るよ」だなんて、
誰にも言わせてはならないと教えてくれます。

彼らのおかげで、私はこの言葉を永遠に無視できます。

また、私がこういう状況になったことによって、みんなが
幸せな報告をしにくいと思ってしまうのを心配しています。

私の周りにはたくさんの妊婦の友達がいて、誓って言いますが、
こんなに幸せなことはないの。幸せなあなたたちを愛しているわ。

さいごに

これを書いたのは、私がこれからの人生に向けて動き出す前に、
何か言わなくてはいけないと思っていたからです。
そうさせてくれて本当にありがとう。

ジャックは常に愛されていて、風や木、飛び回る蝶々の中に生きている
子供たちに説明するつもりです。

私たちのことを考えてくれたり、あなたの愛の物語を
送ってくれた全ての人に感謝します。

私たちは信じられないくらい、幸運です

With so, so, so much love,

Chrissy

泣きながら訳して、不慣れなのもあり何時間も記事作成にかかってしまいました。
この記事を必要としている人に届きますように。

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